
明治35年6月15日に篠ノ井線の篠ノ井~松本間が開通しました。現在の松本駅の駅舎は4代目です。
長沢川にかかる緑橋は、かつて「袖留橋」と呼ばれ、悲しい伝説が伝えられています。
倉科家は江戸時代の大名主です。明治維新後には、松本郵便役所本町5丁目取扱役を務め、跡地には「郵便局発祥の地」の記念碑が建てられています。
「当国第一」の名水です。400年前から飲まれ、明治天皇松本巡幸の際には御膳水として用いられました。
近世・近代のはかりや度量衡に関する資料を収蔵する博物館です。
「はかる」道具の数々をご覧いただけます。
白壁となまこ壁が立ち並ぶ、蔵の町「中町」の拠点です。
普段はギャラリーなどとして利用されています。
美しい古時計や、時計の音や動きも楽しめます。
寺は中世小笠原氏の創建です。元禄時代の作とされる山門は松本の寺院の山門の中でも特に優れており、市の重要文化財に指定されています。
1時間ごとに手まりが上下するカラクリ時計です。
時間によってカラクリの内容が変わります。
松本城は、戦国時代の永世年間に造られた深志城がその始まりです。
松本城は黒いお城ですが、これは、天守を築城した石川氏の豊臣秀吉への忠誠のしるしといわれています。
武家屋敷に源智の井戸と並ぶ名水・地蔵清水の井戸がありました。
この碑は昭和3年に建立されたもので、その後、昭和60年に現在地へ移されました。
周辺には総堀土塁が残っています。
城北側の総堀を埋め立てた跡にある井戸です。
近隣の人々がこの湧水を使う姿を見ることができます。
明治21年に建築された煉瓦建築です。
明治期を代表する建物で、国登録有形文化財になっています。
四柱神社(よはしらじんじゃ)周辺には記念碑が数多く集まっています。
「電灯」の碑、「花いっぱい運動発祥の地」碑、「松本市道路元標」などがあります。
もとは白板村であったこの場所は、糸魚川(千国)街道の起点に近く安曇の玄関口として栄えました。そのため「村落なれども現今は町」‐今町と呼ばれた由来といわれています。
現在、道の両脇には現代の道祖神が数多く建立されています。
松本藩主戸田氏の出身地三河国田原の領主・一色兵部少輔義達と、戸田氏の直接の祖である宗光、松本戸田家の祖・康長、その正室・松姫と子、孫六郎永兼の5人を祭神としたため、五社とも呼ばれています。
明治9年に建築された擬洋風建築の校舎です。昭和36年、国の重要文化財に指定され、昭和38年に女鳥羽川のほとりから移築復元され、教育博物館として公開されています。